”人と地域を元気にする”が
わたしの活動の本当に大切なところ
川上村
梅本 久美子さん
一般社団法人かわかみらいふ
梅本さんの朝は、野菜や果物、お惣菜など約600〜700 品目をのせて村内すべての地区をまわる移動販売車に同行することから始まる。いつも決まった時間、場所で会うお客さんとのなにげない会話から健康状態の変化を察したり、暮らしの心配ごとの相談に乗る。昼過ぎにはかわかみらいふの事務所に戻り、住民さんにどんなサポートができるかを考えて実行する毎日だ。
地元の病院勤務などを経て、川上村で働き始めたのは2018年。当初は村の人たちにも警戒され悩んでいたが、住民さんのことを中心に考えたら支援者の間の連携が絶対に必要だと信じて、役所や社協、診療所に何度も何度も足を運んだ。「最初はわたしの活動を全員が否定していると勝手に思い込んでしまっていた。でも実際に話すと、協力してくれる人たちが何人もいました。」と笑顔で話す。
移動販売に続く活動として梅本さんが考えているのは、村の教育・子育ての支援。進学や就職での人口流出が進んでいるが、川上村は安心して長く住める、戻ってこられる場所だと若い世代に伝えていきたい。「コミュニティナースの特徴の一つとして、講座ではまず病気の予防”という言葉が出てくるが、実はその後に”人と地域を元気にする”と続く。どちらかというとわたしはそっちに重きを置いているんです。」
ひとりの移住者だったのが、人との出会いを通して”村を良くしていきたいお姉ちゃん”に変わっていった
山添村
荏原 優子さん
株式会社Good Support Nurse
バングラデシュから帰国した荏原さんが、”ガソリンスタンドに週の半分常駐するナース”として働き始めたのは2017年。人口3,300名の山添村で「看護師のわたしが、どの立場で動けば医療制度からこぼれ落ちてしまう人にアプローチできるか?」を試行錯誤し続け、スタンドでの健康相談から、村の保健師や社会福祉協議会と連携した高齢者世帯の訪問、住民さんとイベントを実施など、活動は多岐にわたり4年が経った。
この春からは自ら会社を立ち上げて活動を続ける。新たな取り組みの一つとして、村の郵便局内に窓口を設置して、健康相談や認知症の啓発活動を行うことが決まっている。その特徴は、荏原さんだけでなく民生委員や郵便局員自身がお客さんのささいな変化に気づいて、必要に応じて診療所や役場と連携できるようにしていくことだ。
「看護師の人口が限られる中、コミュニティナースを週5日専従でやる人を増やしていくことが必ずしもいいとは限らない。月に1回、郵便局のような身近なところにいる看護師さんや医療職が増えるほうが、継続してやれるのかなって。」自分がコミュニティナースをやることだけでなく、”村が良くなっていく仕組み”を一番に考える荏原さんらしい言葉だ。
看護師だけじゃない。まちの人がみんなコミュニティナース
大淀町
吉田 真佐美さん
旅番組をみて偶然コミュニティナースを知り、「これが、わたしのやりたかったこと!」と思い立ってすぐに講座に申し込んだ吉田さん。地域おこし協力隊の制度を活用して、大淀町に飛び込んだ。当初は病院でしか働いたことがない自分に自信を持てなかったが、人の話を聴くのは大好きだった。
2020年秋から活動の拠点に選んだのは、吉野川を見渡す「ゲストハウス大淀」。初めて開催したまちの保健室に10人の住民さんが集まってくれたことが自信になって、以降月2回のペースで開催している。「地域の人の身近な相談相手になること」を目指す吉田さんは、落ち着いた雰囲気で話や交流ができるこのゲストハウスを気に入っている。
描いているのは、”まちのみんながコミュニティナース化している未来”。「例えば共同浴場の番頭のおばちゃんは、常連のお客さんたちの状態の変化に細かく気づいて声をかけている。コミュニティナースの役割を果たしている人は、実は町内にすでにたくさんいるんです。だから、そういう人たちがどんどん活躍して、必要なときにわたしが医療機関につなぐのが一番いい形だと思っています。」
住民さんに頼ってもらったことで、わたしはここにいていいんだと思えた
五條市
桝田 采那さん
303世帯。人口約2,300人の五條市西吉野町で、桝田さんが昨年1年間で訪問したひとり暮らしの高齢者や高齢者夫婦世帯等の数だ。ひとつひとつの家が離れて高所に存在し、車の免許を返納して家に閉じこもりがちな住民さんの多いこのエリアでは、役場や健康サロンで待っているだけでは出会えない人たちがいる。こちらから訪問することが大切だと感じた。
訪問は”突撃”スタイルが中心で、一度家に入るとおしゃべりに花が咲き長くなることもしばしば。「最初はこちらから声をかけて話をすることが多かったけど、今では”家寄ってってー” ”中入って行ってよー”と声をかけてもらえるようになった。」桝田さんの趣味であるカメラも、おじいちゃんおばあちゃんと心を通わせる大切なコミュニケーションのツールになっている。訪問以外にも、村の主力産業である柿の選果場で、日々情報収集と関係づくりに励んでいる。
個別訪問という地道で成果がみえにくい活動に、このままでいいのだろうかと悩むことも多かったが、そんなときにこそ頼ってくれる住民さんにいつも励まされる。「最近では『ちょっと調子が悪いんやけど、何かいいやり方ないかなあ?』って気軽に問い合わせがくるようになりました。」一年間、大切に積み上げてきた関係性が実を結びはじめた。
僕に任せてくれたら大丈夫。そう思ってもらえるように動いています
天川村
山端 聡さん
一般社団法人てとわ
結婚式を挙げた思い出の場所である天川村に、山端さんが家族で移住したのは2017年。最初は役場の保健福祉総合センターで勤務し、2年後には一般社団法人てとわを設立。役場時代に自ら計画策定に携わった村の地域包括ケアの仕事を一手に引き受けている。看護師として活躍する一方で、観光やレジャー・アートなど天川の資産を活かした村づくりの青写真を、実は移住当初から描いていた。
現在山端さんが進めている構想の一つが、村の北部、趣のある洞川温泉エリアにまもなく完成する小規模多機能型居宅介護の活用だ。「この温泉街には、薬剤師の資格を持つ商店の店主や、介護福祉士の資格を持つ旅館の女将など、兼業でケアを担いうる方がたくさんいる。」もともと商売人同士の互助の文化がある街だからこそ、施設が拠点になって、医療・福祉の面でも支え合っていくことが理想と語る。
村内だけでなく奥大和のコミュニティナースたちからも頼られる山端さんだが、どのようにしてその信頼を勝ち得ているのだろうか。「僕に任せてくれたら大丈夫。そう思ってもらえるように動いています。みんなが”煩わしい”と思っているところに飛び込んでいくのがコミュニティナースの仕事。でも実際に地域に入ると、してあげることじゃなくて、してもらうことの方が多い。だから、その有り難さを忘れないでやっていきたい。」
この町が大好き。長く住み続けられるためにはどうしたらいいだろう?
奈良市
福島 明子さん
百姓コミュニティナース
「わたしの中では、農とナースって驚くほどつながっている」と笑う福島さんは、”百姓コミュニティナース”を名乗って活動をはじめたばかりだ。数年前に看護師の仕事を離れたころ、農薬や肥料を使わない自然農の世界に出会い心惹かれた。奥大和のコミュニティナース講座では「失敗してもいい。実験でいいんだよ」という言葉に後押しされ、農から地域医療にアプローチする道を選んだ。
福島さんは現在、奈良市東部に900坪の農地を借り、レンコンなどの作物を育てるコミュニティ農園の経営を夫婦ではじめた。ご近所さんと一緒に地域の困りごとの解決に取り組んだり、お寺の住職、クリエイターやレストランシェフなど、町中で出会った人たちの得意と自身の農園を掛け合わせたコラボレーションを模索している。
「この町が大好きだから、ここが長く住み続けられる場所になってほしい。わたしたちの農園を介して町のひとがつながってもらえたら、ちょっとした助けあいや、災害など有事の予防になる。」長年培った看護の専門家としての知恵を活かすのは、畑を耕し、まちの人たちと関係を耕してからでもいいのだ。
まず自分が楽しむと決めたら、人がどんどん集まってきた
御所市
久本 美穂さん
久本さんは現在、週3〜4日御所市のデイサービスときの森で働きながら、伝統的な建物が並ぶ風情ある「御所まち」の中に立地する、大正時代に建てられた空き家の掃除やリノベーションを仲間たちと進めている。この活動を後押しするデイサービスの社長とは「大好きな御所に移り住み、ひと、まちを元気にしたい。」といろんな人に猛アピールしていたころに、コミュニティナースの講座で知り合った仲間の紹介を通じて出会った。
観光や建築、農業、ITなどさまざまな仕事を持つメンバーが集う中、久本さんの得意は食と「足」。整形外科クリニックに勤務していたころ、高齢になるほど血流を良くしたり転倒リスクを下げるために足のケアが重要であるにもかかわらず、いつもそれが後回しにされることに疑問を持っていた。足の悩み相談やケアをきっかけに、まちの人に来てもらいやすい場所をつくりたいと意気込む。
41歳で看護師資格を取得した久本さん。最初に講座を受けたときは、周囲と自分を比較してプレッシャーを感じてしまい「すごくしんどい時期が続いていた」。まず自分が楽しもう!と腹を括り、御所でがむしゃらに動き回ると、引き寄せられるように仲間が増えていった。「スローペースだけど、”やりたいね”とただ言うだけで終わらせずに、ひとつずつ実現していきたい。」
自分がワクワクするアンテナを、いつも研ぎ澄ませている
桜井市
中山 一代さん
大福診療所/キャラ弁アーティストかっちゃん
大福診療所に出会ったのは、訪問看護ステーションを退職して生き方を模索していた頃。「職員みんなが当たり前に”コミュニティナース・マインド”を持っていて、まちに開かれている」ことに感銘を受けた中山さんは、入職後しばらくして、NPO法人が診療所の会議室を利用して月1回開催する”暮らしの保健室”を担当することになった。ボランティアスタッフと関係を築き、主催者も参加者も楽しめるにはどうしたら良いかを一緒に考えた。中でもプロの出張料理人を招いて企画したクッキング教室はまちの人たちに好評で、それがきっかけで地域包括支援センター主催のイベントにも呼んでもらえるようになった。
転機となったのは、活動から2年が経過し、暮らしの保健室を”組織化”して活動を広げようという話が所内で挙がったとき。わたし、それやりたいんだっけ?と何度も自問した中山さんは、所長である朝倉医師に辞意を伝え、初めて自分の本当の気持ちを話した。「中山さんは、そのままでいい。両立できる方法を一緒に考えましょう。」と言われ、辞めずに続けることを選んだ。
現在中山さんは、自宅の一部をアトリエにし、”キャラ弁アーティスト”を名乗ってSNSやYouTubeでも活動している。患者さんの自宅を訪問した際、「キャラ弁制作の3分動画を見せたら『めっちゃいい!元気出た!』と絶賛された」というストーリーからも、創意工夫を大切にしていることがわかる。「誰かのためにだけにやりすぎると、自分のワクワクを見失ってしまうから。」
コロナでみんながマスクして、健康を気遣うような今ってチャンスやん
福野 博昭さん(左から2番目)
奥大和移住・交流推進室チーム
「病院来た段階で遅いねん、っちゅう話は共感した。」福野さんが、”まちに出て、元気なうちからかかわる” コミュニティナーシングという概念に出会ったのは2016年の秋。そこからわずか数ヶ月、日本で初めて、県として旗を振ってコミュニティナースを導入する挑戦が、4つの市町村で始まった。
奥大和移住・交流推進室の役割は、各市町村の活動を支え、新たな医療人材を呼び込むこと。2018年からはコミュニティナース講座を始め、奈良県内のみならず全国にも育成の門戸を開いた。「最初の方に講座に参加していた倉上さん。東京に住んでるのに吉野に家買って、改修して、地域の人に開放してる。関係人口生まれたり、そんな思わぬ効果みたいの、いっぱいあるよ。」「かわかみらいふも勝手に進化して、今は看護師だけじゃなく歯科衛生士も移動販売に同行してる。あんなん、もっと全国に広がったらええのになあ。」とエピソードは尽きない。
「コミュニティナースがどうしたらちゃんと稼げるか、いつも考えてんねん。コロナでみんながマスクして、健康を気遣うような今ってチャンスやん。行政の支援ももちろんいるけど、行政の動きを待ってたら遅れるな。週3,4日だけ働くのでもいい。働き方を変えていける時代になってるし、できると思う。」誰よりもコミュニティナースひとりひとりに向き合ってきた、福野さんからの提案だ。
コミュニティナースの活動仲間の方々から声をいただきました。